腎臓内科医の診療日記 No.75
何度目かわからないけれど、そろそろ英会話を勉強してみるか、と思った。数年前にも発作的にそう思い立って、それなりに高額な英会話教材を購入した事があったけれど、海外に行く機会がないので意欲が続かず、モノにならないまま教材は埃をかぶった。病院の勤務医は、大企業のビジネスマンや、ジャーナリストなんかと違って、基本的に海外出張など無く、自宅と職場との地味な往復で日々が過ぎていく。海外で開催される国際学会に参加する人もいるけれど、基本的には日々の病院の業務が立て込んでいるので、自分の仕事を周囲に任せられるエライ人が時々行くくらいである。若い頃に大学院に進んで、その延長で海外留学する人もいるけれど、大学の研究自体に興味が無かった私にはそんな機会もなく、英会話など出来ないままだった。今年の初めに、ひょんな事から大学生の娘1と2泊3日のパパ活グアム旅行に行ってみたら、高校生の頃に短期留学したことがある娘は、いつのまにか英会話が出来るようになっていた。娘は旅行から帰ってきて、「パパの英語はイマイチだった」と、妻と中学生の娘2に語った。娘1はこの春、アイルランドに留学しながら周辺各国を旅行していて、旅行先の写真をたくさんInstagramに投稿している。娘1のInstagramは許可を得た特定の人しか見られないようになっていて、娘2のスマホでは見られるが、私は見られない。
バイクの免許をとってから、日本国内は沖縄を含めて全国色々と走り回っているけれど、海外をバイクで走ったのは、30年近く前に行ったトルコのカッパドキアと、タイのアユタヤくらいである。その頃はバイクの免許を持っていなかったけれど、左手のクラッチ操作や左足のギアチェンジなど、普通のバイクと同じ操作を必要とする50ccの原動機付自転車に日本で乗っていたので、乗り方は分かっていた。大学の先輩から、海外のショップはテキトーだから日本の自動車免許証を見せるだけでバイクを借りられると教えられて、行った先の海外でそうやってバイクを借りた。その頃の記憶は朧げになってしまったけれど、日本とはまったく異なる海外の雄大な景色の中を、またバイクで走ってみたいと思うようになった。国際免許証の手続きさえすれば、もう後ろめたい事はない。
勤務医生活が四半世紀以上すぎ、病院と自宅の往復が、あとどれだけ続くのだろうと考えることも多くなった。「一人前の内科医」を目指した若い頃はあまり考えないようにしていたけれど、医療現場では寿命を迎えつつある高齢者に、最新の医療を信じる「善良な」医者によって、高額な費用のかかる医療が湯水のように提供され、戦略を練って医者を上手に操る企業が潤っている。古いストレスを解放し、生活習慣を見直す事で治癒が期待できる若者の病気に対して、対症療法でしかない副作用の強い薬が、大量に投与されている。少し前のコロナ騒ぎでは、「未曾有の国家的危機」に対してリーダー的立場の医師たちが、移動自粛、三密回避、マスク会食、新型ワクチン大規模接種、オリンピック延期無観客開催など、謎の対策を次々と大騒ぎして、個人生活や日本経済はもとより日本の将来に甚大なダメージを与えた。結果的に、「統計学的に効果が期待できる」治療や対策が、いかに眉唾な物であるのかが明らかとなり、医療に対する信頼が損なわれた。今でも彼らは「我々の推奨した対策は、統計学的に効果があったと証明できる」と主張している。ちなみにこれは私個人の感想で、私の考えが正しい事は医学的に証明されていません。そんなこんなで、自分自身の働き方改革をする時期に、差し掛かっているようなのである。