腎臓内科医の診療日記 No.68
開業医や病院経営者以外の多くの医者やスタッフが、本当は考えなくてはいけないけれど無視しているのが、カネの話である。大学の医学部で学ぶ事は、人間の体が正常の場合は、それぞれの臓器がどういう役割をしているのかとか、病気になったときはどんな検査をして治療をどうするのか、という事ばかりである。医学部の学生はそんな教育を受けて育ち、日本の経済構造や社会情勢、世界情勢などをほとんど知らないまま卒業して、目の前に弱った患者がいたら、とにかく精一杯、出来る限りの検査や治療をしてあげようと考えながら医者になっていく。
そうして、日本では徒歩や救急車などで病院を受診した「病気になって困っている人」に、分け隔てなく「医者が必要だと思う検査や治療」が行われる。そして入院するような場合だと、1人あたり総額で数十万円とか多ければ数百万円の医療費が投入されていく。その医療費は患者にそのまま請求される訳ではなく、日本の医療制度では患者が負担するのは1割とか3割とかの自己負担分であり、さらに自己負担分であっても一定額を超える分は国が払ってくれる仕組みになっていて、患者負担はとても軽く済むようになっている。多くの場合、患者は感謝しながら、本来かかった医療費よりかなり「少額の」請求額を滞りなく払ってくれるので、医者は患者の金銭負担に配慮する必要なく、自分は正しいことをしたという充実感、満足感を感じながら、やり続けられる環境になっている。ちなみに医療に投入される国の財源の大部分は税金と保険料であり、その多くは医療費を実際に多く使う高齢者というより、働く健康な若者が負担している。
ところで話を少し変えると、一部の完全に公立の病院で無い限り、医療スタッフの給料など病院運営に関わる様々な費用は、その病院が稼いだカネから捻出する仕組みになっている。医者が経営する私的な病院の場合、たくさん稼げば病院経営が安定し、医者の収入も増える。稼がなければ医者の収入も減るし、ひどければ病院が経営破綻する。多くの人数の病人を積極的に治療することが経営面からも必要なので、入院患者や通院患者が減って来ると、どうすれば患者が増えるのかを考えることになる。本来、医者の立場では、病人が減って入院患者や外来患者が減ることは喜ぶべきことのはずなのに、経営側でなく雇われる側の医者の場合だと、病院経営側や院長から「もっと患者を増やせ」と言われる構造になっている。イヤらしい言い方をすれば、たくさん患者を治療すればするほど、医療関係者や製薬会社がどんどん儲かる。
極端に言えば、「お花畑の正義感で、すべての患者に徹底的に検査治療を行う医者」と、その対局に位置する「カネを儲けたい様々な医療関係者」が両輪となって日本の医療費を年々増加させ続け、医療関係者ではない人々の生活をどんどん貧しくしている、私にはそんな風に見えるのである。どうみても回復の見込みが低いなら、検査や治療にそれほどお金をかけずに、穏やかな終末期のための最低限の医療に留める、治る病気は最低限の検査や薬で診断治療する、そんな医療を行う病院や医者が報われるような制度設計が早く必要だろう。「可能性が否定できない」「何かあって訴えられたら困る」などのロジックで、すべての患者に徹底的な検査や治療をする医者は、覚悟を決めた方がよい。可能性が低い事や、年齢的に仕方がないコトは覚悟して目をつぶり、医療資源を湯水のように投入するべきではない。施設で高齢者がモチを喉に詰まらせて亡くなったら、遺族は騒がずあきらめた方が良いし、裁判所も病院や施設側に高額な賠償命令を出すべきではない。そんな事を年々強く感じるようになってきた。